私たちは多くの情報を得ることができます。特にすぐに手に取れるスマートフォンを使い、SNSで知りたい情報をすぐに知ることもできます。
しかし、その情報量がすさまじく他人の情報も知れてしまう中で、「こんなことができる凄い人がいる」と目に入りすぎてしまうときがあります。
そんなとき、「この人はこんなに凄いのに、私はどうだろう…」とついつい他人と自分を比べるクセがつくようになってしまいました。そんなネガティブな気持ちで過ごしてきた年月を振り返ってみることにしました。
どうせ自分なんて…と考えるのはいつからだろう
どうせ自分なんて…と他人と比べて劣等感を抱く感情自体は悪いことではありません。なぜならば、その劣等感がもっと頑張ろうというプラスの感情に変化することもあるからです。
例えば、部活であの子はできるのに私はできない。。。それならもっと練習を頑張ろうというような良い感情になります。
歳を重ね、大学生や社会人になると、だんだんと地頭の良さや能力という要素が大きいような気がしてきて、自分にはできないしなと「諦める」ことが多くなりました。
それを努力不足とも呼ぶのかもしれませんが、私は特に大学生でそれを感じ始めました。大学生のとき、周りの友達のレベルが高く、成績も優秀でコミュニケーションも上手な子が多かったです。
そんな中で自分の中で勝手に「差」を感じてしまい、周りの子はすごいなぁ…それに比べて私なんて…という流れで自分を決めつけていた気がします。
どうせ自分なんて…と過小評価するのはなぜだろう
どうせ自分なんて…と自分を過小評価するのに拍車をかけたのは、SNSをよく見るようになったからです。
私は大学生の時にスマートフォンやパソコンを使い始めました。それまでは情報源はテレビだったのですが、SNSを見始めてから他人のやることやできることのレベルの高さに触れることが多くなりました。
例えば、大学生でも起業して社長として頑張っている人、社会人として働いているのに、退勤後は資格取得の勉強や副業を頑張っている人、趣味なのにプロレベルでお店で売っていても不思議じゃないものを作る人、未経験の素人から始めて自分の知識・技術を売っている人など
私が知らないだけで、こんなに凄い人たちがたくさんいるのだという現実を知りました。
それに比べて、三日坊主の自分、努力が続かない自分、やる気が起きない自分、知識が身につかない自分。キラキラしている人たちや周りの子の努力も考えずに、特別な人たちだと勝手に自分を過小評価し続けてきました。
私は○○が秀でている!とポジティブ変換できたきっかけ
自分を過小評価することは当たり前の感覚で今まで過ごしてきた私ですが、ポジティブな言葉をくれた人がいます。
その人は私よりも年下の後輩なのですが、とにかく一緒に働いているときからポジティブ変換が得意な人でした。後輩とご飯に行ったとき、自分を過小評価してしまうという悩みを聞いてもらいました。
後輩は「その人はたまたまそれが得意で、自分はその人ができないことが得意かもしれないじゃないですか。自分が得意なことが無いにしても、普通に生活して生きてるだけで良くないですか?例えば、大谷翔平は野球の世界で凄いけど、そこで自分は野球ができないからダメだって思うんですか。」と私に言いました。
何だか、心に刺さるものがありました。
それは何だろうと思ったら、大谷翔平みたいに凄くないから自分はダメだとは考えたことが無かったんですよね。それは自分には全く手の届かない雲の上の世界にいる人だと思っていたから。
私が比べているのは、自分にも手が届くかもしれない世界にいる人たちなのかもしれないと。
SNSで見かける凄い人たちは、自分のできることをすごく努力して磨いて人に届けている、と。もしかしたら努力というよりも楽しいから努力を努力としてとらえずにやっている人もいるかもしれません。
では、自分に置き換えたらどうだろう、と。
インスタでおしゃれな投稿もできないし、人に見せられる趣味もないですが、好きなことはあるな~と。
それが人に見せられるレベルのものでもないし、下手くそにしかできないけれど、やっていて苦じゃない時間だと思いました。
インスタでは自分がやっていることがかすむ程度で、その能力が秀でている人がたくさんいます。ですが、それを知っているということは、自分が興味があり、好きで、調べているからたくさんの情報をまた知ってしまうということでもあるのです。
ポジティブ変換したら見えてきたもの
ありがたいことに、後輩にそう教えてもらい、どうせ自分なんて…と考えてしまうことをまず減らそうと決めました。
ブログ運営においても、X(旧Twitter)上ではたくさんの凄い人が数えきれないほどいます。
毎日発信し、ブログの文章を考え、濃い内容のブログを作る人たちについていけないと弱気な自分がいました。しかし、どうせ自分なんてと思うなら、下手でも内容が薄くても、素人なりにとりあえずやってみようかなとやる気がでてきました。
凄い人たちはこうしろ、ああしろ、近道はこうだという情報を発信します。
それを見た私は、こうすべき、ああすべきだという固定概念が重なり、ただ頭で知るだけでそれに見合う行動は伴いません。自分なんてと思っているから。
近道を教えてくれるありがたいこともたくさんありますが、できない自分を責める気持ちになることもあります。自分がやっていないだけだと言われればそうで、言い訳しているだけなのですが、人間ってそんなものだよなとも思う自分がいます。
どうせ自分なんて…ではなく、この人の秀でているところはここ!
「じゃあ自分ならどうする?」と柔らかく考え、なにもしない、考えないという決断につなげないことがポジティブ変換で見えてきたことです。
今までの考え方をまるっと変えることは難しいですが、少しずつ自分をもっと肯定していこうと思います。